覇気のないJ3降格 必要なのは何だ

想いはひとつ わずかな可能性でも信じるだけ

サッカーFC岐阜のJ3降格が決まった。

TVディレクター兼カメラマンをしていた私は、FC岐阜がJリーグに入会した時に特別番組を作り、初年度にニュース番組内に応援コーナーを立ち上げた。「岐阜の人たちにとって絶対に必要なチームになる。」そう言ってプロデューサーらを説得し、なんとか番組がスタートした。

その後も毎年、その年のFC岐阜を振り返る特番を作った。正直成績が芳しくなく苦しい企画の時もあった。当時の目標はJ1昇格特番を作ること。しかしその夢はある個人的な謀略により叶うことはなくなった。

J3降格が決まった甲府戦は、ゴールラインの後ろでカメラを構えていた。これまでのENGカメラではなくスチールカメラ。時代は流れスポーツライターになったことを改めて実感した。

この試合は攻撃の形がなかなか作れなかった

前半2分、村田透馬が積極的にシュートを放った。いい立ち上がりだと思った。しかしそれが決まらずプランBに切り替えたのか、とにかく失点をしたくないというシフトに変わった。あまりにも攻め込んでこないので、甲府サイドでカメラを構えていたこともあり、前半はスタンドの記者席で見ることにした。

後半に入って岐阜サポーターの前に移動し見慣れた顔を探す。長良川は1年ぶりだったが数人から声を掛けられた。絶体絶命なチーム状況だが変わらず声を張り上げるサポーターたちは頼もしい。押されてはいるが失点はしていない。このまま守備で粘り切りカウンターから一撃というプランもいいじゃないか。とにかく勝ちさえすれば希望は残る。

しかし、甲府もJ1昇格のためには勝たねばならない試合。56分、ピーターウタカにしてやられた。だが64分に元FC岐阜の新井涼平のバックパスをかっさらった川西翔太が同点ゴール。攻め手を欠いていた中でラッキーな得点を挙げた。

しかしその3分後、またもウタカにゴールネットを揺らされる。同点に追いついてもすぐに引き離される。「何度もこういうシーンを見てきたな」勝利を信じながらも半ば敗戦を覚悟した。

その後、追加点を奪われてタイムアップ。来季のJ3降格が決まった。

敗戦の瞬間 すでに糸が切れていたように感じた

勝負事には結果がつきもので、それが自分の意に沿わないことがあることはよく分かっている。しかしこの瞬間、他にも自分の意に沿わない光景があるとは思わなかった。それは、ホイッスルの鳴った瞬間に悔しがる選手を撮影しようとレンズを向けた時。なぜか普通に歩いている選手ばかりだった。ホームの最終戦でこれまで悔しい思いをさせてしまったサポーターに、最後の一滴まで気力を振り絞ったプレーを見せようとした選手はいなかったのか。とても残念に思えた。

選手に聞けば「そんなことはない。全力でプレーした」と言うだろう。だが伝わらない。過去には残留するために両足をつりながらゴールを狙い続けた選手や、吐くまで走りに走った選手を何人も見てきた。

最大の山場だった鹿児島戦で敗れ、残留の可能性が薄かったということがあるかもしれない。でも積極的に勝ちに行かない姿勢、何としても得点を取らないといけない試合で攻めに出ない理由とは何なのか。「残り2戦を連勝すればもしかして」と信じて声を出していたサポーターはどんな気持ちでピッチを見つめていたのだろうか。

サポーターは最後まで自分たちの信念を貫き声援を送っていた

かつてFC岐阜に在籍した選手がこんなことを言っていた。「ここがJで最後のクラブ。ここから這い上がれなかったらプロ選手を辞めるしかない。」当時のFC岐阜は経営状況も悪くJ2でも最弱だった。このクラブで通用しなかったらサッカー選手として終焉を迎える。まだまだサッカーをやりたいなら死ぬ気でやるしかない。そんな崖っぷちのクラブがFC岐阜だった。サッカーを続けるためには死ぬ気で戦い残留するしかない。そんな気持ちが浅中決戦を戦った選手たちにはあったし、それ以降も岐阜をJ2に止まらせた要因になっていたと思う。

だがJ3が創設され、チームの経営状況が見違えるほど良くなったことで、その必死さは必要でなくなったのかもしれない。多くの選手がレンタルで帰る場所がある。それにFC岐阜もJ3に戦いの舞台を移すだけで、チームが無くなるわけではない。そういえばあの頃は降格したらチームもなくなりそうな雰囲気だった。時代は流れているのである。しょうがない。

セレモニーで阿部キャプテンは涙を浮かべていた

試合後のセレモニーを見ていて感じたのは、阿部正紀キャプテンが成長したなということ。入団が決まった当日、大分キャンプでインタビューをしたが、あんなにたどたどしかったのに、ものすごく感動的な言葉を紡ぎだせるようになった。そしてもう一つは、サポーターはどんな時でも暖かく選手を見守っているなということ。降格したことで選手たちに浴びせる罵声はまったく聞こえなかった。

日本特殊陶業が来季もスポンサーを続けるとの声明もあり、本当に現在のFC岐阜はスポンサーにもサポーターにも恵まれていると思う。だが選手に「来年はどんな思いで挑みたい?」と聞くマスコミには(私もマスコミの一人だが)ちょっと違和感を覚えた。その選手が来年契約を交わせるのか。選手が気を遣って「来年もこのクラブにいられるなら・・・」と前置きせざるを得ない質問は控えるべきだと少し考えればわかるだろう。降格によって選手たちも失うものがたくさんある。不安に思いながら最終戦を戦い、強化部の審判を待つのだ。この状況であれば例年以上の大刷新があっても不思議ではない。

久世さんの写真も撮ったけどここは伊藤寧々ちゃんが叫んだシーンで

時間は前後するが、セレモニー後のゴール裏でスタジアムDJの平松伴康さんや久世良輔さんが「(J3であるいは将来J1で?)優勝しようぜ」とサポーターに叫んでいたのも感動的なシーンだった。常に前を向き、上を向いて進んでいこう。未来は自分たちの手で変えられる。そんな気持ちにさせられた。

このように熱いDJ、熱いサポーター、熱いスポンサーがいる。でも熱くなれないフロントもいるし、熱くなりきれなかった選手もいる。記者会見で北野誠監督は「毎年同じように残留争いをしていた。フロントから一体にならないと」と苦言を呈した。中長期のビジョンがなく、チーム作りで右往左往したことが今回の降格の背景にあることを示唆している。

大木武前監督のサッカーは魅力的だったが、個人のスキルが高くなければ実践できないサッカーだった。強化部は、その状況を踏まえ今季のスタート時に有効な選手を揃えることができたのか。その監督の解任を決め、前任者と真反対の戦術を志向する北野監督を選んだが、選手たちに戸惑いはなかったか、そしてそのメンバーは北野サッカーに対応できる能力を有していたのか。そして敢えて火中の栗を拾ってくれた指揮官への戦力的なサポートは全力で出来たのか。

これも歴史の1ページ 必ずJ2に戻ろう そしていつの日かJ1で優勝を

この点に関しては疑問に思うことがたくさんある。かつては練習場がない、クラブハウスがない、そしてお金がない、と選手の獲得が困難な時期があった。その頃よりは状況はかなり好転しているのは間違いない。それにそのチームで自分が成長できると感じれば選手は移籍の選択肢に入れる。どんなサッカーを志向するのか、その中で自分の何が活きるのか、岐阜らしいサッカーとは何か、ブレブレのチーム作りをしたままで、クラブとしての骨がないと話にならない。まず必要なのは岐阜らしいサッカーとは何なのかをしっかり打ち出すこと。岐阜のサッカーの魅力を作らないと有望選手も集まらない。

しかし、これから新たな岐阜ブランドのサッカーを作り出すために、J3は格好の舞台なのかもしれない。降格はなりふり構わずスクラップ&ビルドができるタイミングだ。フロントから一丸になれる組織作り、岐阜らしいサッカーを築き上げられる指導者、野心にあふれた選手、そして本気でFC岐阜愛を持つ人々。それが揃えば大分トリニータのようにJ3からJ1まで上り詰めることも可能だろう。勝負はこのオフの動き次第である。


投稿者:

斎藤 孝一

名古屋市在住のスポーツライター。TV局の番組制作で長年取材してきた、岐阜のスポーツ選手の魅力を伝えたいとこのサイトを立ち上げました。大垣ミナモソフトボールクラブやハンドボールの飛騨高山ブラックブルズ岐阜、バスケットのGIFU SWOOPSなどを中心に、いろいろな岐阜のスポーツ情報を紹介していきます。

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